超越数の分類

 超越数をもっと細かく分類して欲しい。例えば、一般項が存在する級数で表現される数と、そうでない数とか。円周率とか、自然対数とかはこれにカテゴライズされる超越数。というか、そうならない超越数は、はたして存在するかな。もしあったら、どんなふうに表現されるのだろうか。積分の形?とかかな。

 そして、そうしてカテゴライズされたもの全体はまた、可算無限個に収まったりして。代数的数全体を真に含む可算無限個の集合の発現だ。その代数的な性質も気になる。壁をぶち破って欲しいもんだ。

数学の対象、そして、切り込む武器

・整数とは、代数構造と順序構造をもつもの。
・実数とは、代数構造と順序構造にさらに極限構造を加えたもの。
積分とは、関数に実数値を結び付けるもの。
・位相幾何とは、空間に代数構造を結び付けるもの。


 数学とは、どんなに抽象理論が栄えても、結局は、整数と実数のいろいろを研究する学問でしかないのではないか。と、思ってみたり。たとえば、直積集合を作ってみたり、行列を作ってみたり、複素数を作ってみたり、などなど、どんどん派生していくのだ。逆に、具体例が見い出せない抽象理論って意味があるだろうか。同時に思う。適当な設定の抽象的な公理系を満たす具体例って、必ず見い出せるだろうか。

 数学に切り込む武器といったら、積分と位相幾何ではないか。積分は、高校のときから訓練されてるので、自然に使える。位相幾何は、そういうことがないので、初めて見たとき面食らった。おそらく、さまざまな具体的な空間の代数構造を計算する訓練をしないと、いつまで経っても位相幾何のありがたみは分からないのではないか。と、思ってみたり。

数学における「証明」とは何か

 数学における「証明」とは何だろうか。数学者はこれに答えを出しているようだ。以下、数学基礎論とか、数理論理学とか呼ばれる世界の話。一般に認識される数学(代数学とか、幾何学とか、解析とか)とはまた違った世界。

 まず、数学を表現する「言葉」を作らねばいけない。それは話言葉とは異なるものである。それはプログラミング言語の文法を定めるのと同じ要領になる。しかしここでは話は単純化される。「文字」を決め、「文字」で構成される「単語」と「述語」を定め、それらの「接続」の仕方を定め、「文」という塊を定める。もちろん、「文」同士の「接続」の仕方も定め、それもまた「文」とするのだ。そうして、考えられる可能な限りの組み合わせの「文」を生成して行く。

 次に、「文」の集まりの中から「正しい文」を選択する規則を定める。これは、いわゆる、公理系と呼ばれる方法である。それは次のように行う。「文」の中から誰もが正しいと同意できる「正しい文」の候補を選ぶ。また別に、「正しい文」の集まりからまったく別の「正しい文」を結び付ける規則を定める。そうして、考えられる可能な限りの組み合わせの「正しい文」を生成して行く。「文」の集まりの中に「正しい文」の集まりができていくイメージが湧くだろうか。

 この一個一個の「文」が数学の命題と呼ばれるものになり、「正しい文」が数学の定理と呼ばれるものになる。「証明」とは、数学の命題である「文」が、数学の定理である「正しい文」の集まりに所属することを示すことである。

 さらに、上記の「接続」の仕方の中には、「正しい文」に対し「正しくない文」を定める規則があるとする。

 無矛盾性とは、「正しい文」の集まりと「正しくない文」の集まりが重ならないこと、完全性とは、「正しい文」の集まりと「正しくない文」の集まりを合わせると「文」の集まりと一致すること、をいう。

 以下では、無矛盾性は満たされているとする。無矛盾性が破れていると、「正しい文」の集まりは「文」の集まりと等しくなってしまう性質がある。これだと、完全性が満たされることになってしまい、以下を語る意味がないからだ。

 ゲーデル不完全性定理とは、数学の命題である「文」で、「正しい文」の集まりにも「正しくない文」の集まりにも所属しないものが存在する、というもの。こうして、無矛盾性の下で、完全性が否定される。

 「文」を生成するのと、「正しい文」を生成する2つの規則があるのが分かるだろうか。これらの規則をどんなにいじっても、無矛盾性の下では完全性は達成できないと、ゲーデル不完全性定理は主張している(と思う)。枠からはみ出る「文」がどうしても出るのだ。

 ただし、ある特定の「文」を「正しい文」の枠に詰め込めるように規則を拡張することなら可能だ。これが、ヒルベルトが主張する有限の立場だ。最初からすべて枠に収める必要はない。必要に応じて、必要な分の大きさで、ことを進めればいいのだ。

 ちなみに。ゲーデル不完全性定理の証明の方法は、カントールが可算無限と実無限の濃度が異なることを示すのに使った対角線論法を応用している。自然数と実数の関係性が影を落としているのだ。何か深いものが潜んでるようで、ゾクゾクしないか。

 枠を拡げる前と後で何か変わるだろうか。可算無限を目いっぱい膨らませた代数的数という一団がある。これらは代数的閉体と呼ばれる性質を持つ。ちょうどこれに対応するような拡大された公理系の枠組みはないだろうか。あれば、何か面白い性質を示したりしないだろうか。

 さて、妄想はこれまでにしよう。

 以上は、素人数学愛好者のただのたわごとです。暖かい目で見守って下さい。

 では。

計画停電に協力しない東京の21区の人口の重み

 計画停電に協力している人の数は 3607万。
 一方、東京の21区の人口は 801万。
 単純比較だが、東京の21区の存在は大きいのだ。


<計算方法>

 計画停電に協力している人の数を概算で計算する。まず都道府県レベルの人口を洗い出す。

   栃木 200万
   茨城 296万
   群馬 200万
   千葉 621万
   神奈川 902万
   東京 1305万
   埼玉 719万
   山梨 86万
   静岡 375万

 茨城を除く合計は 4408万。続いて、東京23区、足立、荒川の人口は、

   東京23区 884万
   足立 64万
   荒川 19万

 東京の21区の人口は 801万。先の合計からこれを除くと 3607万。

放射性物質が衣服に付着したら

 上着放射性物質が付着したら、とっとと洗濯しないと。特に21、22日雨の日に外出した人は付着率高そう。いったん付着すると、いつまでも放射線出し続けるからたちが悪い。

 半減期8日といっても、少なくとも、測定値の2分の1×8、つまり測定値の4倍の量を8日かけて受け続け、次の8日間で測定値の2倍の量を受け続け、...、と延々続く。(ちなみに3回目の8日間は測定値の1倍の量、4回目の8日間は2分の1の量、5回目の8日間はもうわかるよね)

 平常値の128(=2の7乗)倍の量の放射性物質が検出されたとして、平常値になるまで、8日を7回繰り返さないといけない。つまり56日間、(だんだん少なくなる)異常な放射線を受け続けることになる。

 どうだろう、何か間違っているだろうか。テレビにしろ、専門家にしろ、放射線が継続して放射されることの説明を省略しすぎ。

計画停電の3時間

 計画停電3時間は長すぎる。特に夜の部。昼間はいいが、夜は時間を短く、1時間とか、できないか。1グループ停電を3グループ停電にするなどして。

 一度、計6時間停電を体験したが、グループ間で不公平すぎることはないか。夜の停電も3回味わった。そのたびに瞑想する時間を強制させられ、暗い考え(主に東京21区へのねたみ)に追い込まれたものだ。

朝まで生テレビでの計画停電

 初めて「朝まで生テレビ」をじっくり見た。今まで興味はあったけど騒々しいだけなのを感じてすぐチャンネルを変えていた。見て意外だったのは、ホリエモンがまともな議論してたこと、猪瀬氏が傍若無人な人だったこと、かな。東京電力の人には同情した。

 じっくり見た一番の目的は計画停電のことだった。停電しない地区には重要施設がある、というのが理由なのは知っていたので、まあ再確認できて気持ちの整理ができた感じだった。東京21区(2区は停電対象なので差し引く)が理由なく一律で除外されてる不公平が話題にならなかったことには、残念だった。テレビ局内ではかん口令が敷かれているという噂を聞いた。この噂を信じる気持ちが大きくなった。

 停電しない地区ごとにどんな重要施設があるか、公表してほしい。このまま誰の目にもとまらず検証されないまま、というのはぜんぜん納得できん。おそらく東京21区では理由付けに困るんじゃないか。

 電力の使用状況グラフにも工夫がほしい。棒グラフの中身をグループごとに色分けしてほしい。もちろん停電しない地区は各グループから差し引いて、まったく新しいグループとして1つにして色分けすることが必要。さらに停電しない地区のグループから東京21区分を分けて色分けすること。以上、計7色で表してほしい。

 工場やオフィスの深夜シフトの話は新鮮だった。深夜に電力に空きがあるんだから使えばいい。言われてみればそうなので、今までなんで気づかなかったのか。